感謝。

storys.jpへ投稿してからの反響の多さに驚いた。

たくさんの方の目にとまってくれたことが、すごく嬉しい。

1人でも、誰かの救いになりたいと思って、始めた事。

「考えさせられた。」
「子供を大切にしようと思った。」
「当たり前だと思ってたことへの感謝を思い出した。」

など、みんなの思いを聞いて、すごく、すごく、救われた。


自分の身に不幸がおこる。

はんちゃんも言ってたけど、
それはただ現実に起こった事なだけで、別に理由なんて何もないと思う。

それを意味のあるものに変えるかは自分次第だと言うことが今回よくわかった。


私の姉、えみは去年、子宮けい癌により子宮、卵巣を全摘出した。

なんで私が?

と、何度も何度も何度も考えたと思う。

抗がん剤治療。

全摘出手術。

抗がん剤、放射線治療。



長い長い治療期間の間、すごく辛かったと思う。

転移はしていないだろうか?

検査結果を聞く怖さ。

手術に対する不安。

術後の痛み。

抗がん剤、放射線治療の副作用との戦い。

術後の排尿障害。


退院後、ものすごく体力が落ちた。

買い物をするためのスーパーを一周もできないほど。

階段ひとつのぼるのも大変なほど。


看護師だった姉は、体力が戻りしだい、心を休めるまもなく、すぐ職場復帰した。

「私なら、患者さんの病気に対する、
不安、恐怖、痛み、苦しさ、
をわかってあげられる看護師になれる。」

と。

だから、えみは、「癌」を意味のあるものに変えられたと私は思う。

6 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

facebookから飛んで来て、読ませて頂きました。

はなさん、はんちゃんさんとはまた違いますが私も一年前に中絶しました。

はなさん達の心境や辛さご身に染みるほど分かるので、この記事を読みながら涙しました。

一年経った今でもわたしは引きずっていますし、あの時こうしていれば…わたしにもっと強さがあればと後悔もします。

でも、はなさん達の言うように帰って行った子供に申し訳ないですし、なにより報われないんだなと心から思えることが出来ました。

まだまだ立ち直るには時間が沢山必要になってくると思いますが、陰ながらわたしもはなさんご夫婦を応援しています。

もう一度、生まれ変わって戻ってきてくれるよう、心からお祈りしています。

拙い文章で申し訳ありません。

匿名 さんのコメント...

清水心愛さん。
心のこもったコメント、ありがとうございます。

ふとした会話など、ささいなきっかけで泣いてしまうことはまだあります。

でもやっぱり、
「お母さんが前を向いて生きていくことが1番の供養。」
私はこれが本当に心にきました。

私も、自分が死んだ時に、はんちゃんや両親が悲しみに暮れ続けている姿をみたら、心配で成仏できないかもしれないなと思いました。

心愛さんの思いや気持ちは十分に赤ちゃんに伝わっていると思います。

はなより。

匿名 さんのコメント...

Facebookから飛んできて読ませていただきました。

ちょうど1週間前に分娩をしました。23週でした。
私の場合は病院に行ったときにはもうすでに赤ちゃんはお腹の中で静かに亡くなっていました。
原因は不明の死産でした。先生から説明を受けたときは頭が真っ白で。
1週間経ってやっと整理がついてきたところです。

はなさんの辛い気持ちが痛いほど分かります。。
仕方ないとは言っても、辛い決断でしたよね。。

お腹の中で看取ってあげた、という言葉がとても印象的でした。
私は死んじゃったんだ…と悲しい気持ちでいっぱいだったので。
そんな風に考えると、とても幸せな事だった、と思えました。
お腹の子と過ごした時間は短かったけれど、幸せな時間でした。

またお腹の中に帰ってきてくれるように、お互いに前を向いて歩いていきましょうね。
なるみ。

匿名 さんのコメント...

なるみさん。
とても辛い心境な中、コメントありがとうございます。

「お腹の中で看取る。」
母親の自分にしかできないことだと思うと、辛くて苦しい中で、すごく救われる一言ですよね。

状況は違えど、先生から宣告を受けて、分娩に至るまでの流れはほとんど一緒だったんだと思うだけで、とても心が苦しくなります。

今は心も体もゆっくり休んでください。

はなより。

匿名 さんのコメント...

フェイスブックからよませていただきました。
16年前、結婚3年目にしてお腹に宿った子が12週過ぎに無脳症と分かりました。
はなさんと同じように出産し、お別れし、1年後息子をさらに2年後に娘をさずかりました。

今、長男は高校受験に身が入らず私の怒号が日々飛び交ってます(笑)

 最初の妊娠のことを忘れていたわけではないのですが、はなさんのblogを読ませてもらっているうちにあの日の思いが込み上げてきて号泣してしまいました。はなさんのまわりには優しい方がたくさんいて羨ましい。私は主人の姉に原因を色々詮索されて『使っている洗剤がいけない』と言われたことで、今でも義姉の目を見て話すことができません。

 初めての子供は主人だけが対面し私は見ることはありませんでした。わが子を怖いと思う自分が怖かった。主人も俺一人で会うと。でも、今は会っておけばよかったという気持ちです。主人は『キレイだった』といってくれました。

 私は忘れ物を取りに行って1年後に息子が帰ってきました。妊娠中も13週を迎えるまでは気持ちが落ち着かなかったことを覚えています。忘れ物を取りに行った息子は今でも宿題など忘れ物が多く、頭を悩ませています(笑)

Handa さんのコメント...

想いを伝えていただき、ありがとうございます。

半田です。

読みながら、すごく画が浮かびました。また当時の想いも伝わりました。

特に、
原因を色々詮索されて『使っている洗剤がいけない』と言われたことで、今でも義姉の目を見て話すことができません。

という部分には、状況が違えど、似た思いをして、分かる方が意外といる気がしました。

私たち夫婦も、この経験をもとに、誰かの理解になれることが大切だと思っています。

息子さんとのやりとりが、とてもほほえましく、家族の温度(温かさ)を感じました。

ありがとうございます。