最近よく考えることがある。
「すべてのことに、意味がある。」
とよく聞く。
じゃあ、
どうして、自分がこの経験をする運命だったのか。
我が子が自分の命を犠牲にしてまで、私に何を伝えたかったのか。
私は、この事で何を学ぶべきだったのか。
別に意味なんてないのかもしれない。
けど、どうしても何か答えを探そうとする自分がいる。
今回の事で夫婦の絆は深くなったと思う。
でも、もともと仲もいいし、いつも感謝を伝えるようにもしている。
そう考えると、もっと、相手への感謝や優しさを忘れている夫婦なんていくらでもいる。
そうたろうが元気に産まれてきてくれたことへの感謝。
たしかに、改めて実感した。
奇跡の積み重ねで今ここに存在する。
子どもが元気に産まれてきてくれたことへの感謝も忘れて、虐待など子どもに冷たくあたる親はいくらでもいると思う。
では、何を伝えたかったのだろう。
何に気付いてほしかったのだろう。
何をしなくちゃいけないのだろう。
例えば、親を病気で早くに亡くした。
だから、医者になった。
だから、看護師になった。
みたいな明確な答えがほしい。
そんな話をはんちゃんにしてみた。
「はなちゃんは、今回の事でたくさんネットを見たんだよね。
自分と同じような体験をした人の話を読んで、自分だけじゃないんだって、救われたんだよね?
なら、はなちゃんの体験もネットにのせればいいよ。
それで、同じように苦しんでる人がはなちゃんの体験を読んで、同じように、自分だけじゃないんだって救われる人が1人でもいてくれれば、それで少しは救われるんじゃないの?」
と言ってくれた。
そうだな。
あたしの体験を読んで救われる人が1人でもいてくれたら、あの子の命も少しは報われる気がする。
という事で始まったこの、「お腹の子は無脳症でした。」
この先いつか、「これだ。」と思える答えがわかる日がくるといいな。